Motion Graphics and

Motion Identity

1997年に動くグラフィックデザイン=モーショングラフィックスという定義が世界に先駆けて東京から初めて打ち出された。その年「モーショングラフィックス展」という映像の展覧会が東京で開催され、タイミングよくその渦中に僕はいた。これはアニメーションや映像というよりグラフィックデザインの領域であり、その背景には古代から現代にかけての進化があります。古代エジプトでは、ヒエログリフや絵文字が情報伝達に用いられ、中世ヨーロッパでは、聖書の写本やポスターが手書きで制作されました。ルネサンス期には、印刷技術の発展により木版印刷が登場し、情報伝達が劇的に向上しました。19世紀には、産業革命とともにポスターデザインが発展し、商品広告が盛んになりました。20世紀には、アール・デコやアール・ヌーヴォーなどの様々なデザイン運動が登場し、アイコン的なデザインが生まれました。その後、デジタルデザインが台頭し、DTPとなって現在に至ります。その潮流の中にこの表現があリます。それまで映像という分野に身を置いていた僕はこの新しくて歴史の古いこのムーブメントに飛びつき、今でもその表現を続けています。決して簡単に作れるコストパフォーマンスのいい映像技法などではなく、1ピクセルの違いだけで表現できる奥の深いものです。だからライフワークにするには面白すぎるジャンルなのです。

Motion Graphic Works

Electric Dragon 80000V

Feature Film Title-art | 2001

石井聰互監督・脚本のモノクロパンク映画。このエンディングタイトルバック制作に1年を費やした。浅野忠信氏からファックスで送られてきたイラストのアニメーション化。読めなくなるまで動かした文字のモーショングラフィックス。エンディングのクレジットロールとしてつくり始めたこのタイトルバック映像は、今まで見たことがない常識破りな手法を次々に試した。本編のモノクロームの世界観と同調し、一度CGで制作した映像をわざわざ16mmのフィルムに焼いて35mmにブローアップし、テレシネする。8mmビデオカメラで画面を再撮してそれをまたフィルム変換してムービーデータに戻すなど、アナログとデジタルを駆使しきった。

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HOTWIRED JAPAN

Launch Expression | 1998

米国のITやサイエンス系ニュースを伝えるサイトの草分けとして1997年に開設されたHOTWIREDの日本語版として翌年開設されたHOTWIRED JAPAN。そのローンチの日に突如公開されたLaunch Expression Movie。カルチャー、音楽、ファッション、文学のカオスを表現し、デジタル社会になることへの歓迎と警鐘を同居させる表現をしている。HOTWIRED JAPANは2007年をもってその存在を全うして休刊した。今となっては貴重なジャーナリズムとアートの横断的メディアだったといえる。

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Motion Identity Works

KADOKAWA | 角川映画

Motion Identity | 2011

角川映画の作品冒頭に掲げられるモーションアイデンティティ。水と大地、空が悠然と呼応し、堂々と羽を広げる鳳凰の姿へと結実する。スタンダードサイズ、ビスタサイズ、シネマスコープ、4K、HD、など全ての映画サイズ用に制作した。

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ISSEY MIYAKE

Projection Mapping for Store Front Wall in Tokyo | 1996

1996年、ISSEY MIYAKE青山本店の壁面を利用して「ISSEY MIYAKE」「PLEATS PLEASE」「ISSEY MIYAKE MEN」のロゴをモーショングラフィックスで表現し、建物の壁に映像を投影してのプロジェクション・マッピングをした。この壁面映像はAXIS誌をはじめクリエイティブ系メディアで話題となった。当時、モーショングラフィックスという言葉もプロジェクション・マッピングという言葉はまだ無く、モーショングラフィックスが壁面いっぱいに投影されるというのは画期的なことだった。

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