様々な種類の映像創作を経験してたどり着いたのが工芸のように映像をつくることでした。手で描いて、それを動かしてみる。アート作品とエンターテイメントの境目のような楽しくて、それでいて静謐さがあるもの。長い年月を色褪せることなく眺めていられるもの。そういう作品を目指して創作を続けています。日本には屏風、掛け軸というものがあります。それらは伝統的な日本の美術品であり、日本文化の重要な要素です。そのうちの一つ『屏風』は、折りたたみ可能な板でできた、通常は二つ折りの板状のもので、室内の空間を区切ったり、風を遮ったりするために使用されますが、同時にその美意識の高さから美術的な作品としても高く評価されています。日本の風景、歴史的な場面、花鳥、抽象的なデザインなど、さまざまなテーマで装飾されます。また、『掛け軸』は、縦に長い絵画や書道の作品を展示するための媒体です。季節の風景、詩、禅の教え、書道の名言など、様々なテーマで描かれ、日本の美的感覚や哲学を反映しています。どちらも日本の伝統的な美術技術と芸術的な才能を示すものであり、日本文化の美しさや繊細さを体現しています。これらは、日本の家庭や寺院、美術館などで見ることができ、日本の歴史と美学に触れる素晴らしい機会となっています。ここでは私自身がこれまで映像や写真という表現を手がけてきた中で、ディスプレイやスマートフォンのスクリーンを屏風や掛け軸になぞらえ創作してきたものを日本の伝統的な手法と重ねてFilm Craft Artと称して紹介しています。

インディペンデント映画の世界を90年代に過ごしたニューヨークでたっぷりと味わいました。「FILM FOLUM」や「Angelica Film Center」へ仕事の合間に通っては、友人達と短編映画をつくったりジム・ジャームッシュやスパイク・リーの映画、ビート作家達の文学を語り合ったりする20代を過ごしました。そんな日々から時が経った今でもインディペンデント映画をつくるチャンスをいつも伺っています。大ヒットしている商業映画を見るのも好きですが、小さな映画館で見るギラギラした野心が見え隠れする作品はやはりゾクゾクします。僕はこれからもそんな野心があって時代を手玉にとるような作品をつくり続けたいと思います。

映画、CM、MVと様々なジャンルの映像がありますが、それぞれにやり方を変えてはいません。むしろ器用ではないので変えられないというのが本当のところ。強いて姿勢を問われればスケジュールさへ合えばどんなものでもつくりたいと思っています。創作者は創作の機会が最も大切です。つくることが存在意義ですから。クライアントからの依頼でつくるものは自分に無かった出発点と、到達点もまたそれまで考えもしなかったところに行き着くのが楽しい。演出、脚本、撮影、VFXそれぞれのパートを自分でもやってみたいという好奇心で続けてきました。規模によってはそれらを仲間に任せて自身は一つの役割に徹します。けれど、後で見返して代表作として残したいと思えるものは規模の小さな、数人で手がけたものが多い。意思疎通があって、何度も話し合って、どうにか完成させたもの。作品はつくづく人間がつくるものなんだなあと思います。

小学生の頃におねだりをして買ってもらったヤシカのカメラ。大好きな鉄道写真を撮っていた。いつの間にか無くしてしまって写真から遠のいた。22歳の時、1991年にニューヨークの蚤の市で50ドルで手に入れた古いハッセルブラッド500C/Mがまた写真を撮るきっかけだった。バシャッと大きな音を立ててシャッターが切れることがなんだか楽しくて、家の周りのダウンタウンを撮り始めた。仕事で行くのにもいつも持ち歩いて、ストリートの人々を撮った。後になってこの写真のジャンルはストリートフォトグラフィーというものだと知った。僕はどちらかといえば映画の1シーンを観ているような感覚で撮っている。撮り続けている。人には物語があるなあと楽しんでいる。仕事で依頼されて撮る時も同じ気持ち。人には物語がある。ライカもソニーも使うようになったけれど、撮りたい気持ちは無くさないでいる。

デザインを学んだのは学校ではなく音楽や映像の仕事の現場だった。CDのジャケットアート、ライブやイベントのポスター、映像の字幕の書体、タイトルロゴのデザインが仕事の現場に溢れていた。駆け出しのその頃にソール=バスというアートディレクターの存在を知った。彼の足跡から「アイデンティティ・デザイン」「コーポレート・デザイン」を知り、同時に肩書きに関係なくデザインはさまざまな分野に開かれていることや、映像や印刷物などのメディアに関係なく縦横無尽に創作の場があることを学んだ。今ではアート・ディレクターという立場は世の中にもっと重要な立場である必要があると思っている。情報の伝え方も、その感じ方も、ディレクションされてデザインされるプロセスを経たものは伝わり方が違う。特にここ日本では行政をはじめとした“お堅い”機関にこそ必要だ。アートディレクターは派手にすることだけが仕事でもなく、わざわざむやみに難しくする仕事でもなく、本来伝えたいことを誤解なく、気持ちよくスマートに伝えるのが仕事。観察すると世の中の「いいな」と思えるものの背景には優れたアートディレクターがいることがわかる。自身もそうありたいと願う。

1997年に動くグラフィックデザイン=モーショングラフィックスという定義が世界に先駆けて東京から初めて打ち出された。その年「モーショングラフィックス展」という映像の展覧会が東京で開催され、タイミングよくその渦中に僕はいた。これはアニメーションや映像というよりグラフィックデザインの領域であり、その背景には古代から現代にかけての進化があります。古代エジプトでは、ヒエログリフや絵文字が情報伝達に用いられ、中世ヨーロッパでは、聖書の写本やポスターが手書きで制作されました。ルネサンス期には、印刷技術の発展により木版印刷が登場し、情報伝達が劇的に向上しました。19世紀には、産業革命とともにポスターデザインが発展し、商品広告が盛んになりました。20世紀には、アール・デコやアール・ヌーヴォーなどの様々なデザイン運動が登場し、アイコン的なデザインが生まれました。その後、デジタルデザインが台頭し、DTPとなって現在に至ります。その潮流の中にこの表現があリます。それまで映像という分野に身を置いていた僕はこの新しくて歴史の古いこのムーブメントに飛びつき、今でもその表現を続けています。決して簡単に作れるコストパフォーマンスのいい映像技法などではなく、1ピクセルの違いだけで表現できる奥の深いものです。だからライフワークにするには面白すぎるジャンルなのです。

20代でソニーに勤務していた頃に配属されたのが銀座のソニービルだった。毎日のようにイベントや展覧会が開催されて、ショールームなどもあった。展示の企画や運営、消防などの安全管理に至るまで、展示・イベント・ライブそれらの全てに関わることができた。多くの人に楽しんでいただくにはその背景に多くの準備や計画、さまざまな法律や権利があることを学んだ。楽しむには信頼が必要だ。アーティストや作品に対する信頼はもちろん、会場や街への安心感はとても大切です。期間が過ぎれば記憶だけを残して消えてしまう空間づくりとしてのExhibition Workはその後の僕のライフワークのひとつになった。そこで目にするたくさんの笑顔が何より平和を象徴していると思う。